九龍ジェネリックロマンス 26話 感想(ネタバレ注意)不安定な自己を確立するためには

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私は宗教には興味がなくて、まぁ平均的な日本人って感じです。だから、別に神様がいるとは思っていないし、願えば叶うとは思っていません。けど別に宗教を否定する気持ちはなくて、やりたいようにやったら良いんじゃないのという思いです。

ただ26話を読んで思うところがあって。確かに宗教は信じていないですけど、アイデンティティーが喪失するような事態に陥るとこれほど効果的なものはないんじゃないかと思いました。何が言いたいのかというと、鯨井がやっていた筊杯というおまじないで彼女は救われたんじゃないかと思います。

鯨井はどうしようもない現状に押しつぶされそうになっていました。前々から分かっていたこととはいえ、自分が自分ではないと明らかになったわけです。しかも、想いを寄せている相手は嫌いだというし、こうなってくると鯨井が頼れる相手はいません。

自己が不安定になったうえに誰にも頼れないって地獄ですよね。私なら何もかも投げ出して逃げるでしょうし、人によっては自殺が選択肢に入ってきます。

そうやって考えると頼るものがないってマジで辛いんですよね。だからこそ、宗教の大切さが分かります。祈ったところで救われるとは限りませんし願い事が叶うというわけでもありません。けど、人間では手が届かないような存在を意識して祈ると精神が安定すると思うんです。

そして今回の筊杯というものは神様に願い事をし、筊杯を通して良し悪し伝えます。筊杯の面白いところは一回限りではなく、駄目だったら何度もやり直していい点です。しかも鯨井の場合は面白いことに続けて駄目でした。そして、最後の願いで聖杯となったわけです。

これは救われますよね。今回のエピソードで宗教の大切さがよく分かりました。

26話の大まかなあらすじ
  • 鯨井が目を覚ますと傍には工藤がいた
  • 話を聞くとどうやら工藤の部屋にいるらしい
  • 工藤は鯨井に知っていることを話すと言ったが鯨井は断った
  • 鯨井は工藤の部屋を出て、歩いていたところ周という老人に出会った
  • そして彼に教えてもらったおまじないを試してみることにした
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扉絵の言葉

26話の扉絵には「ひどく辛いことが起きたとしても、いつも通りにふるまえば日常が戻ってくる」と書かれていました。これ本当によく分かります。

どれだけ辛いことであっても、未来から見れば大したことなかったりするんですよね。あの時はどうしてあんなに悩んでいたんだろう、苦しんでいたんだろうって。まぁ私の場合は両親と喧嘩したとか、金欠だとか。その程度の悩みでしかないんですけど、それでも死ぬほど悩むことがあります。

でも、人間同士の問題は所詮人間なわけで、時間が過ぎれば記憶も感情も薄れていくわけです。よっぽど取り返しのつかないことをしたとかでない限り、割と多くのことは忘れてしまいます。だから、はじめは辛いけどいつも通りにふるまっていればどうとでもなるんですよね。

では、鯨井の場合はどうでしょうか。自分だと思っていたものは偽りで、何が真実なのか分からないでいる。記憶は初めからなかったけど、感情は気づいたときからあった。

とんでもない状況なのは間違いありません。けど、自分が自分じゃなかったからと言って即消滅するかというとそんなことはありません。結局のところ自身をどう定義するかは自分の問題です。

だからこそ難しいと言われればその通りではあるけど、自分の問題であるならやりようは色々とあります。他者との問題ならどうしようもないですけど、自分の問題なら全てを放り投げて逃げ出しても良いわけですし。

上のほうでも触れましたが、私は逃げるのが得意なので、鯨井のような状況に陥ったら取り合えず逃げる自信があります。逃げたうえで何も考えない。自堕落な生活を送り、無駄に時間を浪費する。

そうすれば自分だけの経験や思い出が詰みあがっていきます。あとはそのことを自覚できるかどうか、あるいはその程度の思い出を許容できるかどうかです。私はちっぽけな思い出しかないので、そういう自堕落な生活であっても自分の経験として受け入れることが出来ます。

ただ、鯨井は九龍という変わった街で、不動産に勤務しながら同郷の工藤と恋をしたという思い出があるんですよね。私からすればとんでもないことです。てことは、そういう安易な方法は難しいのかなぁと思いつつ、いやいや有効でしょという思いもあってモヤモヤします。

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工藤の話を聞かないのは予想外

これはまさかの展開。工藤が真実を話そうとするも、鯨井は聞きたくないと断りました。

鯨井のやりたいことは分かります。これは前述したとおり、いつも通りにふるまえば日常が戻ってくるという言葉を実践しているだけです。もし、真実を知ってしまえば鯨井のアイデンティティーが増々危うくなってしまいます。そうなれば発狂まったなしです。

だったら知らないほうが良いし、知らなければ表面上はいつも通りの振る舞いができます。

ただ、読者的には真実が知りたいんですよね。

さんざん言っていることですが、鯨井がクローンであると判明したわけではありません。あくまでも状況証拠的にそうである可能性が限りなく高いというだけ。

そういうことは他にもあって、だからこそ真実を知りたいんですけど、まぁそれを鯨井が知ってしまうと物語が終わるかもしれないからしょうがないのかな…。

でも、鯨井が真実を知らないでいることは困難だと思うんですよね。グエンのように突発的に情報を開示する人間が現れてもおかしくありません。なんなら蛇沼かグエンのどちらかに聞かされるかも。

だから、鯨井としてもその時のために覚悟を固めるか、今の鯨井としてアイデンティティーを確立するしか道がありません。

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実は神様って存在する?

冒頭に宗教は信じねえみたいなことを書いたんですけど、もしかして九龍ジェネリックロマンスの世界には神様が実在するんでしょうか。

筊杯というおまじないをやることになった鯨井ですが、まさかの5連続やり直しでした。そして、どうなりたいか明確にした瞬間聖杯となったって出来すぎでしょw 

こんなん神様の存在を感じてしまいます。

でも鯨井の願いは良いですよね。やり直したときは鯨井がどうというよりも工藤に好かれたいという想いばかりでした。そりゃ好かれたいのは事実なんでしょうけど、工藤が言っていたようにその想いは鯨井Bの残滓の可能性があります。それを引き継ぐのも良いんでしょうけど、そこをアイデンティティーにしちゃうと鯨井Bじゃんって思うんですよね。

それに工藤自身は今の鯨井にそこまでの好意はないんだろうし、実際工藤に嫌いだと言われています。他人に依存すると、その人が見向きしなくなるだけで崩れてしまいます。あまりにも脆いものです。そんなものに頼るんじゃなくて、自分自身でアイデンティティーを確立する。まぁ神様がそう思ったのかは知らないですけど、それで聖杯になったんだから受け入れるしかないよね。

鯨井の精神は不安定なままですが、それでも一歩進めたんじゃないかと思います。このまま進めば何とかなるさ。そう思いたいですね。

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